2010年12月22日水曜日

リラックマお守り

身代りお守に「リラックマ」のデザインをほどこしたものを追加しました。
ご授与開始は12月28日(火曜日)からになります。
初穂料は700円とさせていただきます。

2010年5月30日日曜日

報恩謝徳(ほうおんしゃとく)

報恩謝徳 (ほうおんしゃとく) とは、

(おん)に報(むく)いて 徳(とく)に謝(しゃ)する

つまり

「受けた恩に対して報いようと 感謝の気持ちを持つこと」

という意味になります。


去る5月13日(木曜日)、

真言宗智山派(しんごんしゅう ちさんは)の青年僧侶有志が全国各地から集まり

京都市東山七条にある智積院(ちしゃくいん)から、

聖宝理源大師(しょうぼう りげんだいし)の祖山である醍醐寺(だいごじ)までの

往復約20㎞以上の距離を、古来の先輩僧侶のご遺徳に習い、

徒歩のみで参詣行脚(さんけいあんぎゃ)するという研修が行なわれました。

この研修を企画立案したのは「智山青年連合会(ちさんせいねんれんごうかい)

筆者もこの研修に個人的ながら参加してきました。

江戸時代中頃までは、智積院で学ぶ若手僧侶は、醍醐寺に参籠(さんろう)

真言密教を実践する作法として、

「報恩院流(ほうおんいんりゅう)」と呼ばれる作法を授(さず)かり、修行していました。

成田山でもこの法流が現在もなお継承されています。

今回歩いたのは、俗に「醍醐道(だいごみち)」呼ばれている道に沿った

その当時に先輩僧侶がたどったものと ほぼ同じ道のりです。

朝7時頃に智積院を出発してから、途中休憩をはさみながら醍醐寺境内へ

諸堂を参拝した後に、上醍醐へ更に進み、到着はお昼ごろ

上醍醐では、開山堂にて

「聖宝理源大師1100年御遠忌(しょうぼうりげんだいし1100ねんごおんき)」の法要が

参加者全員と醍醐派(だいごは)青年僧侶(醐山青年連合会〈ごさんせいねんれんごうかい〉)と

共に営まれました。

智積院へ無事戻ってきたのは夕方6時前

20数キロに及ぶ徒歩で踏みしめた練行(れんぎょう)の成満(じょうまん)は、

真言密教(しんごんみっきょう)の教えの法灯(ほうとう)が現在まで

粛々(しゅくしゅく)と受け継がれてきた偉大さを肌で感じる貴重な追体験であり、

まさしく 「報恩謝徳の道」 でもありました。












2010年5月6日木曜日

南無清瀧権現

本堂でのお護摩供の後半で

「南無清瀧権現」と、お唱えするところがあります。

「南無(なむ)」はサンスクリット語の音写で「帰依します、敬います」という意味です。

そして、「清瀧権現」とは龍の女神です。


成田山では、「せいりゅうごんげん」と読みます。

「せいりょうごんげん」とも呼び、元の名は「青龍」とされ、

インド由来の「善女龍王(ぜんにょりゅうおう)」のことであると伝えられています。



「権現」とは、「仮の姿」という意味です。

つまり、仏さまが私たち衆生を救うために仮の姿をして現しているということです。

「清瀧」は観音様(如意輪(にょいりん)観音・准胝(じゅんてい)観音)の化身(けしん)とされており、

故に「清瀧権現」と云います。




この「清瀧権現」には、

弘法大師(こうぼうだいし)空海(くうかい)と理源大師(りげんだいし)聖宝(しょうぼう)にまつわる

次のような伝えが残っています。


今から1200年以上の昔話からはじまります。


唐の都 長安(ちょうあん)(現中国の西安(せいあん)市)に

青龍寺(せいりゅうじ OR しょうりゅうじ)というお寺があり、

この女神は「青龍」としてこのお寺を守護していました。

ここには密教の正当なる継承者である恵果(けいか)阿闍梨(あじゃり)というお坊様がいました。

そこへ弘法大師空海が訪れます。

恵果阿闍梨は、空海の資質を見抜いて大いに喜び、多くの弟子がいるにもかかわらず、

空海だけに密教の秘法を全て授けました。これが日本に伝わった真言密教の始まりです。



空海が恵果阿闍梨から全ての教えを授かった後、

この「青龍」が空海の前に現れて、教えを授けてほしいと願い出ました。

しかし空海は断ります。

ですが「青龍」はあきらめきれず、空海が日本へ帰国する時に再び現れ、お授けを乞います。

空海はこの女神の深い求道心に心を打たれ、教えを授けることにしました。


「青龍」は喜び、空海を守護しながら海を渡り日本へやってきます。

空海さんと共に無事日本へ辿り着いた後、「青龍」は当時の都である京都の山中に鎮座し、

空海が唐から請来した密教の教えを守護して、日本の国の人々へ恵みを施そうと発心しました。

そして名を「青龍」から、各々の漢字に三水(さんずい)偏を付けて

「清瀧」と名を改めました。

高雄山の清滝「きよたき」という地名の由来は、この「清瀧権現」によると伝えられています。



その後しばらくの時を経て、

醍醐の笠取山にて、

醍醐寺を草創した理源大師(りげんだいし)聖宝(しょうぼう)の前に「清瀧」が再び姿を現します。



「清瀧」は聖宝に対し

弘法大師空海と共に日本へと渡ってきた経緯を述べた後に、こう伝えます。


「私は龍王の皇女であり、如意輪(にょいりん)観音と准胝(じゅんてい)観音の化身である。ここで仮の姿をあらわしてあらゆる衆生を救っているのです。」

これがきっかけとなり、聖宝は、如意輪観音・准胝観音をお祀りし、

「清瀧」がその観音様の化身であることから「清瀧権現」としてお祀りするようになりました。



成田山の本山である成田山新勝寺の境内には、「清瀧権現堂」があり、

同寺の鎮守となっています。



インドから中国を経て日本に渡り、

弘法大師(こうぼうだいし)伝来の真言密教の教えを守護し、

また成田山に伝えられてきた不動護摩の秘法の流祖である理源大師(りげんだいし)の前にも現れ

あらゆる人々に幸福をもたらさんがために鎮座しつづける龍の女神。

それが清瀧権現なのです。

2010年4月30日金曜日

お手綱参拝(おてづな さんぱい)

ゴールデンウィークがやってまいりました。


近畿地方の週間予報もおおむね良好で、心地よい気候の連休になりそうです。


さて、5月1日(土)から31日(月) の1ヶ月の間、


本堂にて、護摩供修行(ごまく しゅぎょう)終了後に


お不動様とのご縁をより深めていただく


お手綱参拝(おてづな さんぱい)を行なわせていただきます。

お不動様の左手に掛けられている


五色(ごしき)の綱(つな)


手にとっていただきお参りしていただきます。

この五色の綱に触れることにより


お不動様とのご縁を固く結んでいただきます。

多くの仏様は優しいお顔やお姿をしておられますが

お不動様は逆で、筋骨隆々(きんこつりゅうりゅう)の体つきで、険(けわ)しいお顔をされています。

子を育てる親御さんに例えれば

母親の包み込むような優しい慈悲(じひ)に対し

お不動様は父親の敢えて厳しく接して育てる慈悲(じひ)を表しているともいえます。

新社会人の方にしてみれば


研修期間中に敢えて厳しく接してくる指導教官さんともいえましょうか。


厳しさの中に、実は相手の将来を案じての優しさが多分に含まれている。


お不動様の広大無辺の功徳に是非とも触れてみてください。

詳細に関しましては、当山の受付、または本堂の職員にお問い合わせください。

お電話でのお問い合わせは、

072-833-8881番へご連絡お願い申し上げます。


2010年4月19日月曜日

蓮(ハス)の華(はな)

仏教の教えを象徴する花といえば 蓮(ハス)の花 つまり蓮華(レンゲ)です。

「清らかな心」 「仏さまの悟りを表す姿」 「悟った心の表れ」 「菩提心(ぼだいしん)の姿」 など

宗派を問わず、日本の仏教で用いられる様々なお経の中で、

この蓮(ハス)の花についての教えが説かれています。

成田山不動尊にある各お堂でも、例外なくこの蓮華(レンゲ)の造花がお供えされています。

さてここで、

本堂の蓮華(れんげ)に、赤色と白色の色が付けられているのはご存知でしょうか?


本堂に入っていただき お不動様が座しておられる正面に向かい

右側に赤色の蓮華(上の画像です)

左側に白色の蓮華(下の画像です)

となっています。

実は、

赤色は「仏さまの慈悲(じひ)」を表しています。

白色は「仏さまの智恵(ちえ)」を表しています。

ここで、大師堂(だいしどう)にある 曼荼羅(まんだら)を見てみましょう。




上の画像は、胎蔵界曼荼羅(たいぞうかい まんだら)です。
大師堂(だいしどう)正面の右側に荘厳(しょうごん)されています。
大日経(だいにちきょう)というお経に基づいて描かれています。
赤色を基調としており、「仏さまの慈悲(じひ)」を表している曼荼羅です。
下の画像をご覧ください。


これは金剛界曼荼羅(こんごうかい まんだら)といいます。
金剛頂経(こんごうちょうきょう)というお経に基づいて描かれています。
白色を基調としており、「仏さまの智恵(ちえ)」を表しています。
この曼荼羅は大師堂正面の左側に荘厳(しょうごん)されています。
つまり、
本堂の蓮華の色は、胎蔵界(たいぞうかい)と金剛界(こんごうかい)による
仏さまの曼荼羅による世界を表していることにもなります。



「心の華を」
これは画僧(がそう)である 牧宥恵(まき ゆうけい)先生の描かれたイラストです。
筆者の恩師でもある牧先生からのご厚情により画像として掲載させていただきました。
泥沼(どろぬま)の中に根をはる蓮(はす)ですが、
その花は、泥に染まることなく綺麗な花を咲かせます。
華のある心・・・
誰もが持ちたいと願いますが、
「現実世界」という泥に染まらずに咲かすことは なかなか難しいものです。




2010年4月13日火曜日

春夜 雨をよろこぶ

昨日は1日中雨天でした。
境内を華やかに彩っていた桜の花もすっかり散りました。 花が散りだすと同時に若葉が芽吹いてきています。
本堂前のもみじも若葉が芽吹き、爽やかな緑色をしてきました。

今から1250年ほど前の中国でこんな漢詩の一部が創られています。
タイトルは「春夜喜雨」で、「春夜[しゅんや]雨を喜ぶ」と読みます

好雨知時節 (好雨[こうう]時節を知り)
當春乃發生 (春に当って乃[すなわち]ち発生す)
随風潜入夜 (風に随って潜[ひそか]に夜に入り)
潤物細無聲 (物を潤して細やかにして声無し)
~以下略~
≪和訳≫
よい雨は、その降るべき時節を知っている
春になると降りだして、万物の生命が萌え始める
雨は風にしたがってひそかに夜中まで降り続き
万物を細やかに音も立てずに潤している
~以下省略~
まさしく昨日の雨が、この詩で描かれている雨ではないでしょうか。
1000年以上の時を隔てても、目の前の情景は変わらないというのは実に不思議ですね。
時代が大きく変わろうとも、自然の普遍性は偉大なもであることをとつくづく感じます。
これは「杜甫(とほ)」という方の作です。
同じ世代の「李白(りはく)」が「詩仙」と称されたことに対し、
「詩聖」と称された最高の漢詩人ともいわれています。



杜甫(とほ)が生きた時代は、唐の玄宗(げんそう)皇帝から粛宗(しゅくそう)皇帝にかけての時代で
西暦でいうと700年初めから終わりにかけてに当ります。
日本では奈良時代、ちょうど奈良の平城京に都が置かれていた頃です。
真言八祖の第6祖にあたる「不空(ふくう)三蔵(さんぞう)」もこの世代の方です。
弘法大師が日本へ持ち帰った「理趣経」をはじめとする密教経典は、
この「不空三蔵」が訳したものが多く含まれています。
不空三蔵はこの時代、多くの密教経典を当時の唐の皇帝の勅命により漢訳しました。
ところで・・・
この時代、不空三蔵は、杜甫や李白のことをご存知だったのでしょうか・・・
また杜甫や李白は、逆に不空のことをご存知だったのでしょうか・・・
ちょっと想像してみたくなってしまいます。




2010年4月8日木曜日

お釈迦様降誕会

昨日(7日 水曜)の新聞各紙[大阪府内版]に掲載されている通り

香里百年桜(こうりひゃくねんさくら)の植樹式が6日に行なわれました。 植樹された桜には、1本ごとにナンバーリングがなされています。
また、同時に記念碑も建立(こんりゅう)されました。
100本の桜を植樹した由縁が記されています。


さて、本日はお釈迦さまが誕生された日です。


釈尊降誕会(しゃくそんごうたんえ)と成田山では云います。

別名を「灌仏会」(かんぶつえ)とも云います。

「灌仏会」の「灌」とは、「水を灌(そそ)ぐ」という意味です。

お釈迦さまがお生まれになられたとき、天界にいる竜王が喜び

天から香水(こうずい)を産湯代わりに灌(そそ)いだといいます。

それにあやかり、お釈迦さまの誕生のお姿に甘茶を灌(そそ)いでお祝いをするのです。







2010年4月4日日曜日

桜 満開になりました

昨日、本日の週末は好天に恵まれました。

また境内の桜も満開になり、目がまぶしくしくなるほど明るい境内となっています。 明日からは入学式・入園式ウィーク

門出を祝うには最高の景色です。














2010年3月31日水曜日

香里百年桜

当山筆頭のご信徒でもある京阪電気鉄道株式会社様から京阪電鉄開業100周年を記念して

桜(ソメイヨシノ)が100本寄贈されました。

成田山不動尊は今から77年前の昭和9年に、成田山大阪別院として
この地で開創されました。
それ以前は明治43年に開園された「香里遊園地」をはじめとする 京阪電鉄ゆかりの地でした。
今回植樹されたこの桜を「香里百年桜(こうりひゃくねんざくら)」と称することになりました。
4月6日(火曜日)に、成田山と京阪電鉄様との共同開催による植樹式を行ないます。
上の絵コンテは未来の成田山不動尊境内の予想図です(京阪電鉄様提供図)


2010年3月22日月曜日

お彼岸

昨日の3月21日(春分の日)に、大師堂にて午前10時から春季彼岸法要が厳修されました。 多くのご信徒が参列し、ご先祖さまの冥福を祈られました。

また法要終了後には、

密厳院流遍照講(みつごんいんりゅう へんじょうこう)大阪別院支部の講員の皆様による

ご詠歌(ごえいか)が唱えられました。

さて境内ですが、桜が数日前から開花しています。

下の画像は本堂前のお百度参り場横の桜の花です。

例年、ここの桜がいち早く開花しています。

現在のところ2分から3分咲きでしょうか。

例年よりも早い開花ですが、満開になるまではもう少しかかります。






2010年3月16日火曜日

第二京阪道路がいよいよ開通します

3月20日(日曜日)15時に いよいよ第二京阪道路が全線開通いたします。

下の画像は14日(日曜日)に行なわれたウォークラリーの様子です。

運良く抽選に当選し、門真ICから寝屋川北ICまで8キロを歩いてきました。


ご覧の通り、ピカピカの片側3車線の道路を歩かせてもらいました。
近畿自動車道からは新設の「門真ジャンクション」を経由して第二京阪道に入ります
そして「寝屋川南IC」が最寄りの出口となります
「寝屋川南IC」出口から、側道の新国道1号線を京都方面に進んでいただき
新設の「讃良川(さんらがわ)交差点」を左折して
国道170号線を高槻方面(北方向)へ向かってください





寝屋川警察署前を通過すると「香里園(こうりえん)方面」の案内表示があります
それを進んでいただくと「成田山境橋口(なりたさん さかいばし ぐち)交差点」があります
そこを右折(東方向へ)してください。
京都方面からは 「寝屋川北IC」出口を出ていただき
新国道1号線を門真方面へしばらく進んでいただき、
同じく「讃良川(さんらがわ)交差点」を目指してください。
「讃良川交差点」を右折していただき
国道170号線を高槻方面(北方向)へと合流してください。





2010年3月11日木曜日

成田山全国競書大会 特別賞決定しました

さる3月7日(日曜日)に、大本山成田山新勝寺にて全国中央審査会が開かれ、
上位の特別賞の6賞が決定いたしました。

特別賞の6賞は
●内閣総理大臣賞  ●蘭亭新星賞  ●文部科学大臣賞  ●駐日中国大使賞
●成田山貫首賞   ●読売大賞

で、16名が選ばれました。

先月の近畿地区審査会にて選ばれた44点の作品からは2名の方が選出されました。

○内閣総理大臣賞に 豊原圭次朗さん(兵庫県 六甲高校 2年生)

駐日中国大使賞に 平岡亜砂美さん(兵庫県 赤穂東中学 1年生)


栄えある受賞 誠におめでとうございました。

2010年2月13日土曜日

成田山競書大会 近畿地区審査会

2月12日(金)・13日(土)の2日間にわたり

第26回成田山全国競書大会
(主催 成田山全国競書大会実行委員会)
(後援 中国書法家協会、中国大使館、読売新聞社)

の近畿地区審査が行なわれました。

滋賀県、京都府、奈良県、和歌山県、大阪府、兵庫県の近畿2府4県から

半紙作品5,127点  条幅作品9,222点  合計14,349点が集まり

近畿地区実行委員会の先生方による審査が行なわれました。

その中で、半紙作品11点と条幅作品33点の合計44点の作品が

3月7日(日)に 千葉県成田山新勝寺で行なわれる中央審査会に出品されることになりました。

詳しくは、実行委員会のホームページをご覧いただければと思います。