2010年5月6日木曜日

南無清瀧権現

本堂でのお護摩供の後半で

「南無清瀧権現」と、お唱えするところがあります。

「南無(なむ)」はサンスクリット語の音写で「帰依します、敬います」という意味です。

そして、「清瀧権現」とは龍の女神です。


成田山では、「せいりゅうごんげん」と読みます。

「せいりょうごんげん」とも呼び、元の名は「青龍」とされ、

インド由来の「善女龍王(ぜんにょりゅうおう)」のことであると伝えられています。



「権現」とは、「仮の姿」という意味です。

つまり、仏さまが私たち衆生を救うために仮の姿をして現しているということです。

「清瀧」は観音様(如意輪(にょいりん)観音・准胝(じゅんてい)観音)の化身(けしん)とされており、

故に「清瀧権現」と云います。




この「清瀧権現」には、

弘法大師(こうぼうだいし)空海(くうかい)と理源大師(りげんだいし)聖宝(しょうぼう)にまつわる

次のような伝えが残っています。


今から1200年以上の昔話からはじまります。


唐の都 長安(ちょうあん)(現中国の西安(せいあん)市)に

青龍寺(せいりゅうじ OR しょうりゅうじ)というお寺があり、

この女神は「青龍」としてこのお寺を守護していました。

ここには密教の正当なる継承者である恵果(けいか)阿闍梨(あじゃり)というお坊様がいました。

そこへ弘法大師空海が訪れます。

恵果阿闍梨は、空海の資質を見抜いて大いに喜び、多くの弟子がいるにもかかわらず、

空海だけに密教の秘法を全て授けました。これが日本に伝わった真言密教の始まりです。



空海が恵果阿闍梨から全ての教えを授かった後、

この「青龍」が空海の前に現れて、教えを授けてほしいと願い出ました。

しかし空海は断ります。

ですが「青龍」はあきらめきれず、空海が日本へ帰国する時に再び現れ、お授けを乞います。

空海はこの女神の深い求道心に心を打たれ、教えを授けることにしました。


「青龍」は喜び、空海を守護しながら海を渡り日本へやってきます。

空海さんと共に無事日本へ辿り着いた後、「青龍」は当時の都である京都の山中に鎮座し、

空海が唐から請来した密教の教えを守護して、日本の国の人々へ恵みを施そうと発心しました。

そして名を「青龍」から、各々の漢字に三水(さんずい)偏を付けて

「清瀧」と名を改めました。

高雄山の清滝「きよたき」という地名の由来は、この「清瀧権現」によると伝えられています。



その後しばらくの時を経て、

醍醐の笠取山にて、

醍醐寺を草創した理源大師(りげんだいし)聖宝(しょうぼう)の前に「清瀧」が再び姿を現します。



「清瀧」は聖宝に対し

弘法大師空海と共に日本へと渡ってきた経緯を述べた後に、こう伝えます。


「私は龍王の皇女であり、如意輪(にょいりん)観音と准胝(じゅんてい)観音の化身である。ここで仮の姿をあらわしてあらゆる衆生を救っているのです。」

これがきっかけとなり、聖宝は、如意輪観音・准胝観音をお祀りし、

「清瀧」がその観音様の化身であることから「清瀧権現」としてお祀りするようになりました。



成田山の本山である成田山新勝寺の境内には、「清瀧権現堂」があり、

同寺の鎮守となっています。



インドから中国を経て日本に渡り、

弘法大師(こうぼうだいし)伝来の真言密教の教えを守護し、

また成田山に伝えられてきた不動護摩の秘法の流祖である理源大師(りげんだいし)の前にも現れ

あらゆる人々に幸福をもたらさんがために鎮座しつづける龍の女神。

それが清瀧権現なのです。